「あらぁ〜 結構似合ってるじゃないっ! やっぱ美容師もさぁ、選べばそれなりなのね。私もやってもらえばよかったなぁ」
「やってもらえばよかったのに」
ボソリと呟く美鶴の言葉は、しっかり詩織の耳へ。
「アンタねぇ」
ズカズカとテラスに入り込み、腰に手を当て仁王立ち。辺りの風は姿を潜めるよう、一瞬でピタリと止んだ。
「泊まらせてもらって、食事も用意してもらって、服やら教科書やらまで用意してもらって、その上髪の世話までしてもらうなんて、私はそこまで図々しくないのよ」
アンタと違ってね、と言いた気な瞳に唇を噛む。
………ん?
「ねぇ、ちょっと」
剣呑な眼つきが緩み、すばやく立ち上がる美鶴。詩織はギョッと一歩下がる。
「なによ?」
「今なに? 教科書とかって言った?」
「言った」
「なにそれ?」
「なにが?」
「だからぁっっっっ!」
噛み合わない会話に苛立ち、思わず片足で床を叩く。
「泊まらせてもらったとか食事とかってのはわかるけど、どうして教科書が出てくるのよっ!」
「だって、あんたの教科書買ってもらったんだから、お世話になった部類に入るでしょ」
何を聞く? という眼つきで口元を指で拭う。
「あー 美味しかった。聡くん達も食べてきたら? 二人の分も用意するって言ってたよ」
「え?」
突然話を振られて、呆気に取られる聡。
「食べる?」
「そう。もう三時だよ。お腹空いてない?」
「あっ そう言えば」
言われて自らの腹に手を当てた途端、クゥ〜と響く腹の虫。
美鶴が美容師のお世話になっている間、菓子やら飲み物やらが出てはきた。だから、それなりに空腹を遠ざけてはいたのだが、やはりそれだけでは、育ち盛りの胃袋は満足しない。
まるで小動物の鳴き声ではないかというような音に、詩織がカラカラと笑う。
「でしょっ。美鶴になんか付き合ってないで、一緒に食べれば良かったね。じゃあ私は行くから」
そう言ってその場のすべての人間に背を向け、ヒラヒラと右手を振る。その襟首に、掌が伸びた。
「待て」
美鶴に掴まれて、詩織は後ろへ仰け反る。
「ちょっ… 何するのよっ」
「話は終わってない」
「話?」
今度は美鶴が腰に手を当てる番。
「そうよ。まず、教科書って何? 買ってもらった?」
「そうよ。あんたが出てった後に、幸田さんが本屋だか出版社だかに電話してくれたの」
「幸田さん?」
「あの人」
詩織が指差す先で、霞流の使用人の女性が深々と頭を下げる。昨日から、大迫親子の世話をしてくれている女性だ。
「本屋へは、今日の夕方には届くよう手配しました。一部揃わないモノもありまして、それらは出版社から直接こちらに届くはずです」
「………よく、わかりましたね」
「え?」
首を傾げる仕草も品が良い。若そうだが、さすが良家の使用人だ。
「教科書の種類」
美鶴の言葉に、幸田という女性はにっこり笑う。
「唐渓高校の二年生で文系を選択していると言えば、大概の本屋はリストを見て揃えてくれますよ」
なるほど
癪だが納得せざるを得ない説明に、後ろから品のない声。
「本も届けてもらえるなんて、すごいよねぇ〜」
確かにすごいですね…… じゃなくってっっっっ!
「どうして? ちょっと待ってって言ったでしょう?」
「だから、制服はまだ買ってないわよ」
左手で右腕を支え、支えられた右手で頬を押さえる。
「入学した時に買ったのって、ちょっと丈が短すぎたような気もするのよねぇ〜 でもアンタって痩せてるから、あれくらいでちょうどいいのかなぁ〜なんて思ったりもするのよ。アンタの服って、いっつも迷うのよねぇ」
本当に悩んでいるか、それとも、悩んでいるように見せかけているだけなのか? 中途半端な詩織の仕草に、美鶴はワナワナと震えた。
「そうじゃなくってっ 教科書っ!」
「残ってたの?」
「はぁ?」
逆に問われて面食らう。
「だから、教科書、残ってたの?」
「………残ってなかった」
「でっしょーっ!」
なぜだか嬉しそうな詩織の顔。
「だから言ったじゃない。何も残ってないと思うよって」
「だからって、私に何も言わずに買ってもらうことないじゃない」
「じゃあどうしろって言うのよ。また全部買い揃えろって言うの? そんなお金があると思う?」
ぐっ
「身分証明書があれば、通帳がなくっても銀行でなんとかしてくれるかもしれないって、霞流さんが教えてくれたけど、それにしたってウチの貯金は雀の涙。住むところだって用意しなおさなきゃならないのに、教科書になんてお金かけていられないわよ」
言いながら、詩織は慌てて壁の時計を見上げた。
「やだっ、アンタのせいで時間食っちゃった」
いそいそと出口へ向かう。
「どこ行くのよ?」
「店よ。決まってるじゃない」
「店?」
もちろん、詩織の勤めている店だ。
「ママに連絡したら、すごく心配してくれててさ。やっぱ顔出さないとまずいし。それに昨日は営業途中で飛び出してきちゃったから、今日は顔出しときたいのよね」
「ちょっと……」
だか詩織は、もはや娘の声にはまったく耳を貸さず、そのまま扉の向こうへ消える。
「………買ってもらったものはさぁ、もう仕方ねーよな」
伸ばした手をそのまま宙に浮かせて固まる美鶴。その肩を、聡がポンッと叩く。そこへ
「聡くーん、瑠駆真くーん、まったねぇ〜」
突然戻ってきた詩織。満面の笑みで手を振り、そして今度こそ本当に姿を消した。
………………
一瞬の静寂。
背後でクスリと声が漏れる。山脇が、俯きながらも笑いを漏らしてしまったのだ。
―――――化け物めっ
いつか成敗してくれるっっっっっっっ!!!
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